対象までの距離   @広島市現代美術館


たとえばAという人物とBという人物が対話していたとする。A、Bとの距離は物理的な距離か、それとも心理的な要素か、あるいは・・・( You Tube 横浜美術館からの引用)

『God Bless America』は何トンもの粘土で動物の顔を創った作品だ。作品が制作された時期は9.11の頃らしい。聳え立つ粘土の塊はまるでタワーのようだ。いわずとしれず、エンパイア・ステイトビルを彷彿させる。
広島の展示にあたり、美術館に身の丈ほどの大量の粘土場が併設される。高嶺格の作品の感覚に触れるという企画らしい。
さて、広島現代美術館からさほど遠くない位置に原爆ドームがある。
エンパイア・ステイトビル、原爆ドーム、この二つの建築物は私たちに何の遺産として残したのか。外国で起こる事象はとおくてよくみえない。日本で起こった事実ですら過去の遺産になりつつある。が、時代とともに私たちは存在している。
2011年4月23日〜7月10までの巡回展示。


(上)『God Bless America』2002/映像作品(8`18``)
(下)『A Big Blow-job』2004/映像インスタレーション

劇場にて

夢と現実がわからなくなるときがある。
昨日の夢もそうだった。色がついているのかいないのか目が覚めると忘れてしまうのだが、とにかく夢をみている間は非現実があたかも現実になってしまう。そして、あ、夢だったのね。と、落胆したり喜んだり。
マルクス兄弟は現実を嫌というほどみせつける。映画に夢や希望を求める観客は途中で放り投げてしまうだろう。彼らの作品世界は不条理そのものだ。かといってマルクス兄弟は現実の切り取りに没頭しているのではない。不条理の現実に咲く一輪の花をプレゼントしてくれる。

そう、それが「笑い」だ。

佇まいのデザイン

前回の記事の衣装つながりで映画『ココ・アヴァン・シャネル』をみる。
孤児からデザイナーになるまでの物語。
「ココ」とはシャネルの愛称。乗馬服のくだりは有名。
なにより、それまで窮屈だったからだを開放した洋服を作り出したことが名案。
飾りたてるのではなく、実用性へ。
だが、単純にゴムのウエストのスカートというわけではない。
関わった風景をココは取り入れ、自分のスタイルに仕立て上げる。
例えば、親しい仲間と海に遊びに出かけたときに出会ったマリンスタイルの漁師。彼女は記念撮影した写真を持ち歩くように衣服にし、皮膚に添わせる。

内面から衣服が語りかけてくる。やはりココは憧れの存在だ。

足元の断片

軽い気持ちでみた映画『sex and the city』。
砂漠の広大さがスクリーンに映されると圧倒される。

衣装も楽しみの一つ。
ブルカを纏うのは身を守るため。というのはは保守かもしれないが、その下に高い質の衣服を着ていたということに安心した。
が、ブルカを着用しなければならないという状況が現実であり、憤りを感じた。
これは表面の一部に過ぎないが、伝統があるかぎりブルカは続くだろう。犠牲者の象徴として。

すべてが眩しく、ピンク色で、レースの似合う映画だ。

ほの暗い闇の隙間から

あいかわらずの曇り空。
これからの展望がはっきりしない日々。
映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』では失明寸前ながらも働いている姿が映し出される。ほんのわずかの未来の希望のための労働。過酷な条件の中で彼女が安らぐのは音楽とともに過ごすことだ。この映画のミュージカル仕立ての演出がよい。歌う場面では彼女はとてもいい表情をする。ビョークはいい歌手でもあり、いい役者だ。北欧の澄んだ空気を醸し出す透明な歌声と、冷たい大地を思わせる広大な風景。

なんとかなるという究極の楽観論さえ普及してしまうご時世。
バブル期の浮かれ気分をまだ引きずりながらも時代は新たな一ページに導入し、あの時代をもう一度という歪んだ歴史が希求されている。
暗闇で踊りをがむしゃらに踊っているのだ。もしも輝ける未来が来たときの準備体操として。

都築響一によるHEAVEN

広島市現代美術館で現在行われている展示、副題「都築響一と巡る社会の窓から見たニッポン」。


都築響一氏。「私はジャーナリズム専門であり、作者ではない」と語る。展示もその意に沿って撮影可能。
以下、撮影した数々。

部屋の写真の展示。会場には広島のFM番組が流れている。なに一つとして同じ部屋はなく、赤裸々な個人の内部が部屋に凝縮され、それぞれ際立っている。ごつごつした主張ばかりが集まるのかと思いきや、意外に調和がとれている。友達の部屋を渡り歩いている感覚。多彩な超個人の空間を行ったり来たりする。

見世物小屋に掛けられていた布に描かれた絵。丸尾末広の画風によく似ている。蛇女、人間の顔をした動物など。昭和のエロ・グロ・ナンセンスだろう。回顧趣味、かもしれないがいまだ新しい驚きだ。

さくらももこ『幕の内弁当』の著書にも掲載あり。
そのほか、広島の元暴走続が作成した改造バイクや、スナックの一部を再現した展示も。

日常を切り取り美術館にそのままおいてみると作品になるのだろうか。いや、生活を紡ぐことが作品そのものだろう。
いま、ここで生きることそれがHEAVEN。

シュルレアリスムの過程

シュルレアリスムのアメリカ

シュルレアリスムのアメリカ

戦火のヨーロッパを逃れて亡命したシュルレアリスムの作家たち。
もはや活動は途絶えたか。
いや、新しい土地でもまた彼らは執念深く作品を次々と発表した。
戦後アメリカ美術とブルトンの紹介が興味深い。